昭和41年08月06日 夜の御理解
毎日うだる様な暑さの中に、例えば神様の天地のお働きを、色々な角度から頂かせて貰って、今日は少年少女会の方達が自動車五台でしたか、分乗してから海水浴に参りました。先程帰って参りましたけれども、やっぱり是は椛目の神様の御比礼であると。青年会も近い内に、又信心実習にキャンプをするとか云う話も出ておりましたが。そげな事でも矢張りお広前の御比礼であると、教祖の神様は、神の事を世の人がとやこう言うのも神の比礼じゃと仰る。
確かにそれは、神の比礼であるけれども、その神の比礼である印に、矢張り人が何とかかんとか言うても、あれだけの人が助かっているのだから、と云った様なものが、なからなければ比礼とは云えないですね。例えば若い方達が、さあ海だ山だと、しかも御広前の父兄達が、云うならば両親達が集まって、そうした山に又は海にやらして頂く事も、確かに神様の比礼である。
私はいよいよ神様の比礼になる為に、どうだろうか、本当にこのうだる暑さの中に、海だ山だと云う様にして、行く様な楽しみをもって、お広前に集まって時を同じゅうして、そして御祈念の、例えば、大祓の十巻も奏上させて貰うて、本当にひと汗しようかと、云ったそんな信心はないものかと思うですね。今日私お道の雑誌で、金光青年と云うのが毎月出ていますが。
今月号で御祈念の骨と云う様な事を書いておられるのを読ませて頂いたら、私が何時も言っている様な事と同じ様なんですけれども、私が言うたよりもやっぱり脇の人が言うておるのを聞くと、それは実際に皆さん実感されるだろうと思うんです。けれどもね、神様に通う様な御祈念と云うのは、少なくとも御祈念の稽古、それも矢張り御神前に一時間は座り抜かなければ、神様に通う様な御祈念は出来るようにはならんと、そういう様な事が書いてありました。
神様から色んな事、神意の事を頂いても、それを漏らしたら早死をすると云う様な事も書いてある。是なんかも以前そんな事を実際実感した事も御座いましたけれども、今はだいぶんそのところが変わって来ました。問題は本当に御神前に出たらもう神様が話しかけて下さる、いや、こちらが祈った事をすぐ聞き取って下さると云う様なです、おかげを頂く為にはですね。
成程それも神様の比礼なんです。海だ山だと云うのも比礼なんです。けれどもこの暑い中にひと汗流す。それこそ山登りの勢いです。ひと汗流して御祈念の稽古でもさせて頂こう、そしてそれから本当の意味での信心、神様との交流を計ろうとする様な働きも、それもひとつ椛目のお広前に出て来る。それには老いもなければ若きもない。そういう様な働きと言うものは。
暑さを避ける為に海だ山だと云う訳なんですけれども、そういうそのお広前の畳が濡れる位にひとつ汗を流してから、その後の爽快さと云った様なものをね感じれれる。しかも御祈念の稽古が出来る、しかもお徳が受けていける稽古が出来る、と云った様な働きと云うものがですね。お広前の中にでも出来て来る様になったら愈々お広前の御比礼であると云う風に感じますね。
どうぞ。